青森・奥入瀬渓流の旅(1日目) 〜 青函連絡船メモリアルシップ 八甲田丸

シードル工場見学後に、八甲田丸に向う。
青函連絡船の歴史は長く、明治41年から昭和63年まで。八甲田丸は23年間運行され、現役期間が一番長かった船。現在はミュージアムとして保存、公開されている。

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ドックの手前に戦災の碑文。第二次席大戦末期に、物資の重要な輸送として米軍機に撃沈され多数の死傷者を出しとのこと。

碑文(総務省より)

青函連絡船戦災の碑
  青函連絡船は、青函トンネルの完成により廃止されましたが、八〇年
の歴史の中で、「戦災」の悲劇を忘れ去ることはできません。
  第二次世界大戦末期の、一九四五年(昭和二〇年)七月一四日、
米海軍艦載機の攻撃により、物流の大動脈であった青函連絡船「翔鳳丸」
「飛鸞丸」「第二青函丸」「第六青函丸」が、八月一〇日には
「亜庭丸」が青森湾で撃沈され、一三一名の犠牲者を出しました。この中
に、函館船員養成所大沼分所の生徒一四名(当時一四、五歳)がおり、
悲しみを一層大きくしました。
  また、七月一四・一五日に津軽海峡と函館湾でも攻撃を受け、
青函連絡船は全滅をし、乗員乗客四二四名の尊い人命が失われました。
  今も、津軽海峡には「津軽丸」「第三青函丸」「第四青函丸」が、
この航路に殉じた人々と共に、永久の眠りについています。
  青森市民の目前で繰り広げられた、悲惨で残酷な空襲・戦災から
六〇年を経ましたが、今では、当時の惨状を止めるものはなく、人々の
記憶からも薄れ、知らない世代が増え、風化されつつあります。
  青函連絡船戦災から六〇年目に当たり、この悲劇を歴史に止め、
語り継ぐとともに、犠牲となられた方々のご冥福と平和を衷心より祈念
し、この碑を建立いたしました。
 二〇〇五年(平成一七年)七月一四日
六〇年目の空襲・戦災の日に


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八甲田丸の公開範囲は広く、ゆっくり観ていると、2時間以上はかかる。送迎バスの時間もあるので、大急ぎでまわった。最初の展示は、当時の風俗をあらわし人形が続き、すこし飽き始めたが、その後、列車の輸送倉庫、ボイラー、客室、写真など、興味のあるものが多く、もっとゆっくり見ておきたかった。

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JR青森駅からJR新青森駅に移動。白鳥22号。特急券は不要。青森駅はとても広く、改札からホームまでの距離が長い。巨大なターミナル駅。青函連絡船が運行されてた時代はものすごく賑わっていたのであろう。いまはひっそりとしている。構内のりんごのオブジェが可愛い。

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新青森駅に到着。ねぶたがお出迎え。
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by izunosuke2005 | 2015-10-17 13:30 | 旅行記 | Trackback | Comments(0)

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